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感動の一瞬はこうして生まれた…… フォト派ダイバー必見! |
後世に伝えるべきレック写真やネイチャー写真を追求
戸村裕行 Hiroyuki Tomura
沖縄県・古宇利島に眠る米海軍掃海駆逐艦「エモンズ」
左下にある航空機の車輪を支える「ランディングギア」がおわかりになるだろうか。これは「エモンズ」に体当たり攻撃をした日本陸軍の「九八式直接協同偵察機」のものといわれており、エモンズだけでなく、双方を意識して撮影したもの
沈船との出会いが道を拓いた
他の方がしていないことをしたい。天邪鬼な性格が今の立ち位置に
マリンダイビングWeb編集部(以下、編)-戸村さんはどうして水中写真家になったのですか?
戸村裕行さん(以下、戸村)-そもそも体験ダイビングもしたことないのに勢いだけでOWを沖縄で取ったのが2005年。それからいわゆる“リゾートダイバー”で3カ月に1回くらいのペースで沖縄に行ってダイビングをしていて……。当時から趣味で一眼とコンデジの中間くらいのカメラは持っていて遊んでいたんですが、地元のダイビングショップにも行くようになって、伊豆に通うようになってからかな、写真を撮ってみんなに見てもらうのが楽しくなって、純粋に「これを職業にできたらいいかも」なんて考えて、2009年から写真学校に通いました。今、当時の写真を見ると「よくこれでそんなこと思ったな……」と笑ってしまうんですが、学校では水中写真は学べないとはいえ、写真の基礎や暗室での作業などを学んで楽しかったですよ。
編-水中写真家の先輩はたくさんいらっしゃいますが、ご自分の立ち位置をどのように考え、どのように選択されたのですか?
戸村-影響を受けたりお世話になった先輩方は今でも尊敬していますし、逆に新しいことをどんどんやっている若い皆さんも本当に凄いと思います。その中であまり自分自身で立ち位置は考えないようにしています。立ち位置を考えていたらやりたいことできなくなりませんか?(笑) けど、性格的に他の方がやっていることと同じことはしたくないとか、仕事にはならないけど、誰も知られていないところに行ってみたりとか、昔から天邪鬼な部分があるのでそのようなことを繰り返してきた結果が、今、皆さんから見える私の立ち位置になっているのではないかなと思いますね。
米海軍の掃海駆逐艦「エモンズ」が沈船写真家への始まりに
編-戸村さんは現在沈船や海に沈む飛行機など海中戦跡の撮影を主に行われているイメージがあるのですが、レックを撮影されるようになったきっかけは何でしたか?(いつ頃かも教えてください)
戸村-本格的にレックを意識し始めたのは2010年。私が初めて潜ったレックは沖縄・古宇利島に眠る米海軍の掃海駆逐艦「エモンズ」なのですが、その当時はまだエモンズという沈没船があり、さらにはそれに潜ることができるということはほとんど知られていませんでした。当時、沖縄でお世話になっていたガイドさんに「行ってみる?」ということで連れて行ってもらった記憶があります。それがなかったら、今もレックを撮影していたかわかりませんね。その生々しさに衝撃を受け、その4カ月後には“聖地”であるミクロネシア連邦、チューク州に行っていました。元々歴史とかが好きだった影響もあり、それから毎年のようにチュークに通うようになりましたね。
撮影することに申し訳なさも。でも感謝の言葉で、また撮影を続けられる
パプアニューギニア・ラバウルに眠る「零式観測機」
フロートの付いている水上機で、元々は砲撃戦の着弾を「観測」する任務を主として戦艦などに搭載されていたそうだが、この地では戦艦などから抽出され水上機基地で運用されたりしていたのかもしれない。現地のガイドダイバーと共に全景を撮影をした
編-戸村さんは世界中のレックを撮影して写真展も開催されています。訪れる方はダイバー以外も多いと聞いていますが。
戸村-ダイバー以外だと、元々歴史好きな方、艦船や航空機の好きな方、さらには当時の艦船などを擬人化したゲームやアニメなどから興味を持ってくださった方など様々です。
また、「私の祖父がこの船に乗っていました」というご遺族の方などとの出会いも多くあります。特に戦争に関連する艦船の多くは、亡くなられた方がおり、その沈没船は「お墓」という考えもあるために、私が撮影をすることに対して果たしてどう思われているのだろうか?という心配が当初はあったのですが、ノンダイバーの方々には「直接行くことができないからこうして撮影して見せてくれてありがとう」とお礼の言葉をいただけていることしかなく、私にとってこの撮影を続ける一つの理由ともなっています。さらには私が撮影した船に実際に乗られていたという方などにも直接お話を伺いに行ったりしました。
戦争時の沈船なんて本当はあってはならないもの。でもだからこそ後世に伝えたい
2022年8月に戸村さんが出した写真集『続 蒼海の碑銘』(イカロス出版刊)。表紙は「エモンズ」
編-今年8月31日に『続 蒼海の碑銘』を出版されました。その2年前に『蒼海の碑銘』を出版されたわけですが、この2冊にこめた想いを教えてください。
戸村-そうですね、ダイビングというレジャーにおいては、“レック”というジャンルは冒険心を掻き立てたり、様々な経験を与えてくれるものですから沢山あることは好ましいことかもしれないのですが、今回出版した2冊に含まれる艦船や航空機などは、戦争に関連するものなので、本来であれば「無い方が良い」ものだと考えています。私が撮影をした世界各地の様々な海底に眠る、かつて日本人が関わった戦争において、例えば戦争経験者なども高齢化、または鬼籍に入られる中で、今後、後世にどう伝えていくかというのは大きな課題となり、この写真集がその一助となり、それが亡くなられた方々に対する慰霊にも繋がればと思っています。さらにはこの写真集を通して「実際に見てみたい」と現地を訪れてくれたら嬉しいですね。
編-ちなみに、「蒼海の碑銘」というタイトルの「碑銘」は、「悲鳴」とかけたりしていますか?
戸村-それ、2年前、最初に言ったのは後藤さん(インタビュワー)ですよ(笑)。正直言って全く意識はしていなかったのですが、聞いて「なるほど」と思ってそれからは意識してしまうようになりました。碑銘というのは元々「石碑」などに書かれたものを指すそうなのですが、ニュアンスとして伝わるから良いかなと。
編-それは失礼しました(汗)。続編はさらにパワーアップしたように思うのですが、1冊目と異なることがあれば教えてください。
戸村-元々1冊目を作っているときに続編を作れたらという話はあったんです。けどそれなりに売れないと実現はしなかったと思うので、購入いただいた方々には本当に感謝しかなく。パワーアップをしたと言ってもらえると非常にありがたいのですが、実は、コロナ禍で海外にも出られないタイミングでの続編制作なので、「あれを撮って入れたかった」というのはあるんです。また、1冊目のほうが戦艦長門や陸奥と言った当時の艦船としてはネームバリューがあるものが多く、そう言った意味では、今回の写真集のほうが玄人向けと感じています。写真の選定に関しては、1冊目で「こうしておけばよかった」と思ったことがかなりあったので、その辺りをうまく2冊目では修正できているので満足しています。
編-出版の苦労などもあれば教えてください。
戸村-これが非常に難しいところで、例えばダイバーとして見所が多いものであったり「これはこんなに苦労して撮影した」というのは写真集のコンセプトにはあまり関係なく、どちらかというと歴史的に知名度が高かったり、評価のあるものを優先して選んでいたりしているんです。デザインは基本的にお任せしているので、「この写真、結構撮影するの大変だったけどこのサイズか……」なんていうことも。内容に至っては、ミリタリー総合誌などでも連載をさせていただいているために、航空機の同定であれば映画『永遠の0』などで設定考証にも携わった航空機研究家の方や戦史研究家など、その筋の専門家の方々にお手伝いいただいて作られています。写真集を作ることで自分のほうが勉強させていただいています。
撮りたいこと、やりたいことがめじろ押し!
インドネシア・バリ・ムンジャンガン島
私にとってこの写真のポイントは「コロナ禍」の後、2022年10月に撮影をした一枚という点。コロナ禍の2年半の間、ダイバーが少なかったからなのか、環境のせいかは定かではないが、以前は壊れていたとうサンゴが一面に広がっていた
編-今後の予定、さらに夢なども教えてください。
戸村-10年前くらいまで「レックダイビング」は日本ではマイナーで、特に戦争絡みだから「触れてはいけない」ような空気があって。その空気が今は「伝える」「残す」に変わってきています。特に若い世代がレックダイビングにすごく興味を持ってくれているように感じているので、今後もそれらを繋いでいきたいですね。
また、レックと結びつく水中考古学といった分野なども日本ではレジャーと切り離されているので、その辺を結び付けられるようなこともできたらと。現在、水深100mにあるレックなどを撮影するため、これにはテクニカルダイビングという潜水方法になるのですが、ダイビング指導団体TDIさんや器材の面ではMaresさんの協力を得てトレーニングをしています。
2023年には全国を巡回している「群青の追憶」という写真展の開催が新しい場所で計画されているのですが、コロナ禍において撮影を続けてきた小笠原諸島や、ずっと通い続けているインドネシアなどのネイチャー写真も皆さんにお届けできたらと思っています。行きたい場所、撮りたいものはここには書ききれないほどありますので、やりたいことは尽きないですね。
編-ありがとうございました。これからも忙しくなりそうですね。応援しています!
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