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感動の一瞬はこうして生まれた…… フォト派ダイバー必見! |
“東京湾”を撮り続けて45年以上。
日本を代表する水中写真の第一人者
中村征夫 Ikuo Nakamura
イッカククモガニ
水深6m付近で異様なカニの集団に遭遇した。甲羅の幅は1〜2cmほど。北アメリカ原産のカニで、1970年代に初めて東京湾で確認された。一時異常発生したが、現在はほとんど見かけることはない
1977年5月撮影
海の素晴らしい世界をより多くの人に知らせるために
撮り続け、語り続けてきた
高級食材の江戸前を食べたい!
そんな江戸前の魚や海中生物が暮らす東京湾を見てみたかった
マリンダイビングWeb編集部(以下、編)-中村征夫さんといえば、「東京湾」がアイコンになっているように思うのですが、そもそも東京湾をライフワークとして撮り続けることになったきっかけを教えてください。
中村征夫さん(以下、中村)-東京湾では“江戸前”といわれる高級食材が漁獲されていますね。18歳で上京したときに江戸前に興味を持ちました。プロのカメラマンになって10年近く経った頃、ちょうどフリーになったし、体も自由になったので、江戸前を食ってみたいという衝動に駆られて(笑)・・・。どんな環境に生きているのだろうという興味もありました。
あるときお台場に出かけたとき、サルベージ会社の潜水夫たちにこんなことを言われたんですよ。
「お前たちはサンゴ礁とかきれいな海ばっかり潜って、でも俺たちはヘドロの中で写真を撮ってるんだ。おまえたちにはできないだろう?」ってバカにされたんですよね。
「何も見えないからでっかい透明なビニール袋に真水を入れて、工事を終えたところに押し付けて、ビニール越しに撮ってるんだ」
って言うんですけどね、それは嘘だと思うんだけど(笑)、大変な仕事だということを力説してましたね。
ジャーナリスティックな写真家を目指していたので、どんな環境の中でも撮れなくてはいけないということが僕の中にもあり、そう言われたことがかなり刺激になって、それで東京湾を撮り始めたのも理由のひとつです。
そんな海の中にも、多くの生物が強靭な生命力を持って生きていることがわかってきてね。これまで潜ったきれいな海では見たこともない生態が目の前で展開している。そういう現実に衝撃を受けながら、この海はスゴイぞ、ということで。ほとんど誰も知らないかもしれないけれど、続ける意義があるなと、撮り続けました。
最初にお台場に潜ったときに衝撃的な写真が撮れたんです。それまで東京湾は“死の海”とか“公害の海”などといろいろいわれていた時代だったので、おそらくその写真を新聞社やテレビ局とかに持っていけば即決で使ってもらえるんじゃないか、お金に替えられるんじゃないかと思いました。でも「ちょっと待てよ」と。「これはもったいないんじゃないかな」と思って。東京湾って狭いようで広く、ときには広いようで狭く感じることがあります。大都市3都県につながっている海域なので、それぞれの都県ごとに多少の生きものの違いやドラマがあるんじゃないかなと沿岸をぐるりと取材することにしました。さらに漁業を営む人たちにも興味があったので、取材をさせてもらいました。だんだん漁師とも親しくなって、船に乗せてもらうだけでなく家でたらふく江戸前の魚介類をご馳走になることもたびたびあって。漁師たちは自分が収穫した東京湾の魚が一番うまいという。
「汚染されてると言うけど、何十年も食ってきてピンピンしてんだからな」と江戸前の恵みに胸を張る。僕も江戸前を一生食っていきたい、そう言えるようになりました。“一生分食いたい”ということは、それ自体が環境保護に直結しているんじゃないかと思えたんです。こうして10年に及ぶ歳月をかけて、ノンフィクション「全・東京湾」は完成しました。
「食」は人類共通に欠かせないもの。江戸前というのは天然の海にいる天然の生きものたちです。だけど東京湾は今、危機に瀕している。この海をこれ以上汚してはいけない。自分の役割は嘘のない現実を作品と文章で発信していくこと。東京湾は豊かでもろいという湾の特性を持っていることを、多くの人に知ってもらうことが大事だと思っています。この海が守られれば未来永劫江戸前をいただくことができる。今後直面するであろう食糧危機の際には、この海を汚さず潰さずに残しておいてよかった、と胸をなでおろすことでしょう。
初めて潜った東京湾で衝撃の出会い
編-東京湾で撮影していて、汚い都会の海と思われている海の中でも、感動されることはあったかと存じます。思い出深いのはどんなことですか?
中村-東京湾に潜って最初に衝撃を受けたのは、イソガニやケフサイソガニの襲撃に遭ったときですね。甲羅が3~4cmぐらいの純国産のカニです。当時のお台場は岸をのぞくと数十センチ下の海底が透けて見えてました。岸辺のゴロタ石と泥がまじっているところにカニたちは生息していたんです。そのカニたちに近づくといきなり跳びかかってきたんです、次から次と。ハサミを掲げてなんか怒っている感じの顔つきでカメラのレンズに向かってきては落ちていく。また次のカニがピョーンと10cm、15cmもジャンプする。泳げるカニじゃないのに真っ直ぐ向かって泳いでくるんですよ、それが十数匹も。なんだ?今のカニたちはと思いましたね。さらに移動すると、ヘドロの上に死んだばかりかマハゼが仰向けにってるんですよ。あ、ハゼだと思い撮ろうとしたら、ヘドロについた左手にもぞもぞと動くものがあって、うわっ気持ち悪い、何これと思って見てみると、アラムシロガイという貝が1個体、2個体……と次々と現れ、死んだハゼの上に乗っかって、ハゼの内臓に歯舌(しぜつ)を差し込んで食べていく。うわーっ、こりゃすごいなと思い夢中で写真を撮りました。
そのあと、水深6mぐらいだったかな、少し平らになったヘドロの海底に今度は見たこともないカニの集団が集まっている。手足が細く長くて身というものがほとんどない。大きいほうが小さいカニ、メスなんですね、それをハサミで挟んで持ち歩いているんです。ヘンなカニだなと思って近づくと、ヘドロを蹴立てて向かってくるんですよ。コワイ(笑)。そのときはワイドレンズを持っていなかったので岸に戻り15mmのレンズに交換して再び潜って撮ることができました。イッカククモガニというアメリカ産のカニで、タンカーで運ばれてきた帰化生物です。東京湾は天敵が少なくて生きやすい環境だったんでしょうね。千葉県でもそのカニが視界にいつも入るぐらい多かった。それがね、今や1個体もいない。あれだけの数がどこに消えたんだろうとびっくりしているところです。
マハゼの内臓を喰らう
死んで間もないハゼが、ヘドロの中から現れたアラムシロガイによってみるみる喰われてゆく。サバンナで死肉をむさぼるハイエナを連想させた
1977年5月
東京湾を取り巻く厳しい環境
編-それより強い敵がいたのでしょうか?
中村-いや、たぶん公害ですね。汚染でやられたかもしれない。東京湾では毎年のように青潮が発生します。
海底が無酸素状態になるので、それで底生生物が酸欠になり死んでいく。やがて水面に浮いて漂っていくんです。イッカククモガニはほとんど青潮で死んでしまったんじゃないかな。
ほかにもタンカーが座礁して重油が流出したことがありました。油の処理剤を使って油は水面から消えて良かったと喜んでいるけれども、現実は油を粒子状に固めて沈めるだけなんだよね。だから海底が油だらけになって、底生生物が大量に死んだこともありました。メバルやカサゴなどが大口を開けて死んでいる姿は見るに忍びなかったです。酸素が失われ、よほど苦しかったんでしょうね。
なかなか厳しいですよ、東京湾の環境は。
東京湾へのこだわり
編-感動というよりは、深く考えさせられる環境の変化のほうが東京湾には多かったんですね。
中村-まあ、行けば何かひとつやふたつのドラマがあるという期待はあります。正直なところ、楽しいですね(笑)。
知人のダイバーたちも潜りたい、と言うんですが、もし一緒に潜ったら感動するんじゃないかなぁ。あまりの汚さと、その中に生きている生きもののおもしろさとのギャップに(笑)・・・。
環境の変化といえば、大雨、ゲリラ豪雨とか最近多いのですが、海への被害もあります。大雨が降ることによって大量の川の水が海に流れ込んできます。そうなると沿岸域が泥の海になります。岸辺の岩という岩がみんな泥をかぶって岩の上に付着する生物が皆無になります。そうすると海藻類がなくなるし、岩の上に付着している生きものがいなくなるし。撮影でも大変苦労しています。
生きものたちの交尾、産卵、誕生という生態行動というのは瞬時にして終わります。仮に撮れなかったりすると一年先まで待たなければいけない。去年(一昨年)のクリスマスイブにもある生態を狙って東京湾に潜ったけど、もう何年も失敗続きです。相手がいないんですよ。また国から撮影許可が下りたので近々行こうと思っています。新年早々行けるかなぁ。
編-東京湾を長い間撮影してきた中で、中村さんご自身が変わったことはありますか?
中村-どこ行っても「東京湾の人ね」って言われるようになりました(笑)。漁協の職員や漁師さんたちから親しみを持って接してもらえるようになりましたね。
昔から「ヘドグラファー」って呼ばれているんですよ。ヘドロのヘドとフォトグラファーで「ヘドグラファー」(笑)。それは僕にとっては大変名誉なことで。
漁師たちもよくしてくれます。“俺たちは海の上、お前は海の中だから”と、お互いにリスペクトしている感じがいいですね。漁師が一番東京湾を知っている。何十年も続けてこられたのも彼らのおかげです。とても感謝しています。
襲いかかるイソガニ
東京湾で初めて出会ったのがイソガニたちだ。何を思ったかヘドロからいきなりジャンプし、次々と僕に体当たりして来た。命知らずのカニたちだと思ったが、フィルム現像の結果どのカニもお腹にこぼれんばかりの卵を抱えていたのだった
1977年5月撮影
写真展・写真集などの編集力が素晴らしい理由を訊いてみた
編-中村さんの写真集や写真展は編集人からすると、とにかく「編集力」が半端なく素晴らしいと思っていつも拝見しています。これは中村さんがいつも考えられているのですか?
中村-うーん、一番に考えていることは……。多くの方々が海に対して興味を持ち、海の成り立ちとか生きものとか、自然環境のこととか、少しでもいいから理解してもらいたいなと思っています。泳げない人や海が苦手な人、また小学生でもわかるように、理解できるような言葉を選ぶのが必要じゃないかなと、いつも心がけています。例えばレギュレーターという言葉が出てきたときにはカッコして(水中呼吸装置)って書いたりとか、そういうことに徹してきました。
ダイバーは海に潜ってサンゴ礁とか藻場、干潟とか、汽水域とか潜って、「あそこにこんな生きものがいた」みたいに生物に対する愛着があると思うけれど、サンゴ礁ならサンゴを折ってはいけないとかね、そういう思慮を持つようになると思うんですよ。きれいだな、素敵だなと思ったら壊そうとは思わないですよ。出版に対してはいつも「微力ながら海への架け橋となれたら・・・」との思いで編集させていただいています。
エッセイでもルポルタージュでも写真集でも、一般の人たちにわかりやすく伝えていきたいなと。
様々なところで写真展を開催するようになって必ずサイン会も開催するけれど、「『海も天才である』を読んでダイバーになりました」と言ってくれる人が多くてびっくりしています。
これまで何冊か本を出しているけれど、誰が見てもわかるようなものしか書いてません(笑)。文才がないので書けないと言うのが本音かな?
あともう一つは自分が楽しまなくちゃいけない。自分が楽しまないでどうやって読んでくれた人が楽しむの? 楽しめるの?と。
今も夏頃に出版するものがあって頑張ってるんだけど、とにかく楽しくやっています。「楽しくなければ仕事じゃない」これが僕の座右の銘です。
2022年も話題をたっぷり提供してくれそう♪
編-今後のご予定をお伺いしようかと思っていたところでした。それはどんな出版物なんですか?
中村-写真集です。撮りに行くのも、編集するのも楽しんでいます。
『海中顔面博覧会』の集大成ですね。テーマも新しい切り口でね、今非常に悩んで作っているのが楽しい。新年早々も企画会議です。
編-夏発売予定ということは急いで作らなくてはですね。楽しみです。
中村-そうなんですよ。これで“顔面”は最後にしようかと。
あと、新年早々は冬山に登ります。福島県裏磐梯の磐梯山です。
長年、五色沼湖沼群を撮影してきたけど、1カットどうしても撮りたいものがあって。2年前にもチャレンジしたけど、納得のいく自然現象ではなかったですね。それが撮れたら五色沼の写真集も完成です。
五色沼の水中撮影はもう終えているのであとは陸上。数年前から足繁く通っています。裏磐梯は風光明媚な場所で多くの写真家たちが素晴らしい作品を撮っていますから、彼らに笑われないような作品を撮るぞと気合いが入っています。
編-ますます楽しみが増えてきました。今後もご活躍を期待しております。今日はありがとうございました。
PROFILE
◆主な著書
◆近年の主な写真展 |