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感動の一瞬はこうして生まれた…… フォト派ダイバー必見! |
『マリンダイビング』で育ったプロカメラマン
北川暢男 Nobuo Kitagawa
制限のある要求の中で最高の水中写真を撮る!
ブルーコーナー
ナポレオンフィッシュがこちらに興味があるうちに撮らないとどこかに行ってしまう。魚の動きに合わせてカメラを振ったのでバックが流れた
撮影機材/ニコンD700 AF Fisheye-Nikkor 16mm f/2.8D SB-105、ワイドパネル、ネクサスD700
“カメラマン”でありたい
マリンダイビングWeb編集部(以下、編)-北川さんが水中写真家を目指したきっかけを教えてください。
北川暢男さん(以下、北川)-高校生のころ、地元の友達が町の潜水クラブに入ってフリッパー競技で全国大会で入賞したのです。その友達に誘われて翌年からフリッパーを始めたところ、教えてくれた人がダイビングインストラクターでした。その年の夏初めて潜ったのがダイビングとの出会い。クラブ員の人から水中写真を見せてもらったり、ふと入った喫茶店に水中写真が飾ってあったりして、水中写真に興味を持ちました。というよりカルチャーショック、感動、だったのだと思います。「それを見た人に感動を与えることできたら素敵だな」と思ったのが水中カメラマンになろうとしたきっかけです。
編-その後、そのクラブのインストラクターを通じてスキューダイビング専門誌『マリンダイビング』を発行している会社に入社されたのですね。水中写真界のパイオニア・舘石昭さんや水中写真家・望月昭伸さんらが先輩にいた時代。聞くところによるとかなり厳しかったそうですね。
北川-二人とも厳しかったですね。でも、撮影でタメになった助言は、思い出せません(笑)。生活面なら多々あります。会社に初めて行ったとき。コーヒーを飲むのに音を立てて注意されました。女性に年齢を聞くな、年上の人前で着替えるななど。これらは今も守ってます。
編-そうなんですか!? 北川さんはでも、望月さんがそうであったように、カメラマンとしての水中撮影にこだわっていますよね。多くの人が作品を撮るためにフォトグラファーと名乗っているのに対して、とても対照的です。
北川-大先輩の望月さんが「僕は水中写真家といっても作品をつくるフォトグラファーではなく“キャメラマン”にこだわる。カメラじゃなくてキャメラだぞ」とよく言っていたのですが、それに感化された部分がとてもあります。私は『マリンダイビング』や姉妹誌などを発行する出版社の撮影課に入社して、編集部や営業部の意向を聞いて撮影することが仕事だったので、自分の作品を撮るわけにはいかない。スケジュールがきつかったり悪天候だったりして、いつも最高の状況というわけではなかったけれど、その中でベストを尽くすことが使命でしたから、やっぱりフォトグラファーではなく、カメラマンですね。
一瞬でベストな写真を撮るために
コモド
早朝ダイビングで、流れのあるチャネルスポットで浅瀬を行ったり来たりしているところを太陽光をうまく取り入れて撮影
ニコンD700 AF Fisheye-Nikkor 16mm f/2.8D 自然光 ネクサスD700
編-スケジュールはタイトで、天候ではベストなことが稀。かなり大変な状況の中でいつも撮影していただいていたように思います。でも、水中写真界のパイオニアのお一人、益田一先生が「北川はうまくなったな」と感慨深げにおっしゃっていたことを記憶しています。いち編集者としても、北川さんの写真は北川さんのオリジナリティがあって、グラフを作成するのにとても助かった記憶がありますよ。それと、北川さんは海の青をどう写すか、こだわりが強かったのを覚えています。
北川-ボスの舘石 昭先生の影響で、フィルム時代から撮影する海の色をどう写せば読者の心に響くか、見ていて気持ちいいか、編集部の意見も聞いたりしていました。カメラが新しくなるたびに実際に海に行って理想的な海の色を出すためのテストもしました。近場の海は特に夏、浮遊物が多くなって透視度が悪くなり、海の色も青というよりも緑色になります。そんな時は、逆光で撮ると青っぽくなってごまかせる場合があります。しかしどうやってもダメな時は海の部分が極力入らないようフレーミングします。これにはこだわっていましたね。今は撮った後に画像を修正するアプリなどもいろいろあるので、一般の方のほうがすごくキレイな写真をアップしていますが、私の場合はいまだに後で修正しなくてもいいように撮ることにこだわっています。
編-被写体の撮り方にもこだわりがありましたね。
北川-被写体との距離は近ければ近いほどいい。だから見つけたらダッシュで被写体のところに近づくんです。被写体に近づいたときに逃げられちゃって撮れなくなることもあるのですが(笑)。写真というのはその一瞬を切り取ること。その一瞬でベストな写真が撮れるように頑張っています。あと被写体がどんなところに生息しているのかがわかるよう、ある程度引いてバックを入れながら被写体との距離をつめる。これを考えながら撮影する。常に考えているから、当然、エア消費量は速くなりますよね(笑)。
編-ところで、北川さんは、実際にマリンダイビングのカメラマンとして撮影された場所は国内外で何カ所ぐらいありましたか? 主にどんなエリアですか?
北川-国内外合わせて約270カ所に取材に行きました。よく訪れたのは主に宮古島、ケラマ、パラオ、グレートバリアリーフ(GBR)、インドネシアのコモドです。
印象的なのはメキシコのコスメル島の透視度50m。よく見ると体長1cmの真っ赤なクラゲが大量に泳いでいたんですけどね。水深30mの白砂のドロップオフがすごくて、底の見えない海底に白砂が流れ落ちていく様子がたまらなかったです。
伝説をつくる男、北川カメラマン
宮古島八重干瀬 ノーネーム
いろんな色のエダサンゴが集まっているところを探しまくるのでこの手の撮影はすごく疲れる
ニコンD700 AF Fisheye-Nikkor 16mm f/2.8D SB-105 ワイドパネル ネクサスD700
編-今の時代ならその動画も見たかったですね。
ところで、なんですか!このキャプション(写真の説明文)。思ったことを正直に語る北川さんならではのコメント(笑)。ダイビングが終わってボートに上がって第一声「全然撮れなかったな!」。いや、同行した編集者だけに聞こえるように言うならわかりますが、せっかく案内してくれたガイドさんにも聞こえてしまって、かなりガイドさんが気を悪くされたという……。そういう失敗談は少なからずあると思うのですが、もはや伝説クラスの失敗談もありますよね?
北川-数々の失敗をやらかしてきましたが……。新しいダイビングリゾートができたというので、インドネシアのとある島へ。空港で久しぶり!と親しげに話してきた現地の人に連れられてリゾートへ。泊まってダイビング取材して帰ってきて、特集も出た。ところが、半年ぐらいしてその時手配をしてくれた旅行会社から驚きの報告が。なんと、旅行会社に届いた請求書がまったく違うダイビングリゾートだったとのこと。お世話になるはずのリゾートに連絡したら、そう言えば北川は来なかったと。実際に取材しちゃったところも新しかったので、てっきりそこだと思い込んで取材したんですが、すごい勘違いだったという。これが一番かな!
編-ありましたね、伝説級の大間違い事件。他にもいろいろと脳裏に浮かんできましたが(笑)、北川さんの失敗談特集に終わってしまいそうなので、話題を変えましょう。プロの水中カメラマンということで活躍されてきた北川さんですが、ライフワークとしてこだわっていることもありますよね?
北川-社員だった頃、コンプレッサー製造会社としても有名な《東亜潜水機株式会社》のカレンダー撮影を突然指示され、南伊豆の子浦まで出かけました。その時初めて、ヘルメット潜水を海中で見たのです。そのカッコよさに惚れ込んでしまい、退社してフリーランスになった時に、このままだと会社の後輩が撮影を引き継ぐことになるので直談判へ。現在は代表取締役社長ですが当時専務だった佐野弘幸さんに「私にカレンダーの撮影をやらせてください」と頼んだのです。願いをくんでくださり、以来毎年担当させていただいています。
ヘルメット潜水の歴史も興味深いところがあります。慶応2年横浜に英国の軍艦バロシャ号が停泊していて、その船底修理に積んであったヘルメット式潜水器を使って日本人として初めて増田萬吉が潜ったのが歴史の始まりです。
でも、高齢化も進み、後継者がいないし、フーカー潜水に置き換わってもいてヘルメット潜水は絶滅寸前状態といわれています。だからこそこれからも撮影して、写真に残しておきたいと思っています。
これまでのヘルメット潜水の撮影地は富津、高松、種市。NHKの朝ドラ『あまちゃん』で知られる種市高等学校海洋開発科でも撮影しています。他の学校のヘルメット潜水授業、作業ダイバー、海外のヘルメット潜水でも撮影。富津の白ミルガイ漁のときに初めてムービー撮影しましたが、今後、海外のヘルメット潜水も撮影したいと思います。
編-頑張ってくださいね! 本日はありがとうございました。
北川暢男 PROFILE |