2015年12月号
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『マリンダイビング』創刊600号記念
創刊とともに歩んだ日本のダイビングの変遷~ダイジェスト版~
1969年4月に日本で初めてのスクーバダイビングの専門誌として創刊された『マリンダイビング』が2015年12月号で600号を迎えました。
これだけたくさんの号を発行できたのはひとえに応援していただいた読者やダイビング関係者の皆さまのおかげと、スタッフ一同心より感謝を申し上げます。
ここでは、『マリンダイビング』12月号で特集した日本のダイビングの歴史についてダイジェストでお届けします。
創刊号(1969年)~100号(1981年6月号)
黎明期
『マリンダイビング』が創刊した頃の日本のダイビング界
『マリンダイビング』は1969年(昭和44年)、B5判、全48ページという、現在時々付いてくる別冊付録のような体裁で、定価270円で発売された。
当時は沖縄がまだ米国の統治下にあり、海外旅行もまだ高嶺の華だった時代。
だが、発行元の水中造形センターの創始者である舘石昭(故人。2012年逝去)が水中映像を新聞、映画などで発表しており、日本では水中世界への関心が高まりつつあった。
ダイビング人口も5万人ぐらいまで増えてきたということで、「もっと海の世界を広めたい。もっと楽しさを伝えたい。もっと安全ダイビングの意識を高めたい」と舘石を中心に、望月昇氏(故人。当時静岡県スキンダイバーズクラブに所属。後にADS JAPANを設立)、石黒信雄氏(当時《帝國酸素》、現《日本エア・リキード株式会社》らが集まり、《日本アクアラング》や《鬼怒川パシフィック》などの協力を得て本誌が創刊されることとなった。
ダイバーによる、ダイバーのための、本格的なスクーバダイビング誌として、夢と希望にあふれた創刊号は、日本全国のダイバーやダイバー予備軍に受け入れられたのだった。
ダイビング器材は超シンプル
写真は創刊当時のダイビング器材を背負った舘石。
一眼のマスクにシンプルなスノーケル、サイズ調節機能のないストラップフィンに、レギュレーターはダブルホース。
BCもゲージもなく、タンクはハーネスと呼ばれるベルトで背負っている。
タンクも写真からはわからないが、エアがなくなりかけると余剰空気を供給する「Jバルブ」と呼ばれるタンクを使用していた(ちなみに、当時はタンクのことを「ボンベ」と呼んでいた)。
ウエットスーツも黒のスキン(ゴム)が普通だった。
BC、残圧計が生まれる
21世紀に入ってからダイビング器材は円熟の域に達したと考えられるが、『マリンダイビング』創刊号から100号が発売された12年間のうちに大きく変わったのがBC、そして残圧計だろう。
浮力を確保できるBCが誕生し、エアの残りを勘だけではなく数値で確認できる残圧計が生まれたことはダイビングの安全性がより確かなものになりつつあったということ。
また、ウエットスーツも1970年代後半にはカラースーツが生まれ、色や柄物の自由なデザインのスーツが浸透しだした。
“前掛け式”と呼ばれていた初期型のBC
ダイビングを始めるには……
現在はダイビングを始めようと思ったら、ダイビングショップに行けばインストラクターがいるので簡単に始められるが、創刊の頃は、国内に点在するダイビングクラブのメンバーになるのが一般的だった。
ダイビング指導団体の指導者(インストラクター)もほとんどおらず、ダイビングクラブのベテランダイバーや、ダイビング器材メーカーのスタッフがダイビングのノウハウを教えていたという。
創刊号では全国のダイビングクラブや同好会82件を掲載。
その後、1973年にPADIが、続いてNAUIが日本に入り世界的な基準が伝えられるようになった。
それに伴い、ダイビングクラブがダイビングショップ形態に様変わりをしたり、新たなダイビングショップが誕生しだすようになった。
少しずつダイビングエリアが増加
『マリンダイビング』600号では、過去にMDが紹介した国内&海外の全エリアを一挙公開しているが、創刊時、日本でダイビングエリアとして確立している所はごくわずかだった。
伊豆半島では2014年に創立50周年を迎えた伊豆海洋公園(IOP)ぐらい。
100号までに紹介されるエリアは、国内では伊豆諸島、沖縄、小笠原などの島嶼が多かった。
一方、1964年に海外への自由渡航が開かれてから6年以上経った1970年代、海外でのダイビングも注目されるようになる。
パラオなどミクロネシア島々へは創刊号から紹介し、潜れるエリアも少なくなかった。
人気のモルディブを1978年、日本で初めて紹介したのは姉妹誌『海と島の旅』だが、引き続きダイビング誌では『マリンダイビング』が日本で初めてモルディブのダイビングシーンを紹介した雑誌となっている。
環境保護
創刊号から100号まで『マリンダイビング』を見ていくと、スピアフィッシングの記事があったり(獲った魚を“とったど~!”と差し出している表紙もあったり)、ハリセンボンを膨らませていたり、サンゴに触っていたりと、世界的に知識が欠如していたがための行動はあった。
けれども、サンゴ礁を守らなくてはいけない!と、本誌では1972年、「オニヒトデ絶滅作戦」を沖縄本島で実行。
日本各地から101名のダイバーが集まり、“オニ退治”をしている。
1972年、沖縄本島でオニヒトデ絶滅作戦の第1回が行なわれ、25,513匹のオニヒトデを捕獲した
101号(1982年7月号)~300号(1998年2月号)
発展期
ダイビング人口が爆増!
前出のとおり、BCや残圧計の登場によって、安全にダイビングが楽しめ、またカラースーツが出回り出したことで、ダイビングは一気に広まっていく。
『マリンダイビング』は既に1975年4月号から月刊となっていたが、1980年代にはどんどん記事のページ数も増加し、よりカラフルな、より多い情報を載せるダイビング誌に発展。
1985年に流行の中綴じ・ワイド版にもなるが、情報を入れるにはやはり平綴じ版(現在の背があるタイプ)とワイドな平綴じ版に変身している。
その頃から日本のダイビング人口もアップ。
1989年6月に公開された映画『彼女が水着に着がえたら』で、ダイバーは増え、バブル期と相まってCカード保有者は150万人を一気に突破した
ダイブコンピュータの登場
1980年代初めにジャケットタイプのBCが広まり、ダイビング器材は一気に近代化した。
……と思いきや、登場したのがダイブコンピュータ。
当初は昔の携帯電話のように、ダイブコンピュータも大きくて“弁当箱”などと呼ばれていたのだが、
1988年、アメリカで開催された世界最大級のダイビングショー「DEMAショー」で世界最小のダイブコンピュータが話題に。
同年、SUUNTOからも小型のダイブコンピュータが誕生し、日本にも到来。
ダイブコンピュータ時代の幕開けとなった。
ニコノスⅤ、そしてニコノスRSが登場!
水中撮影機材
《ニコン》から1984年発売された「ニコノスⅤ」
1991年《ユーエヌ》から登場した「潜ルンです」
世界初の水中デジタル一眼レフカメラ「ニコノスRS」は1992年に登場、世界をあっと驚かせた
この時代、水中撮影機材は目覚ましく発達した。
《ニコン》からは1984年「ニコノスⅤ」が誕生。
1963年に世界初の水中コンパクトカメラ「カリプソ」(フランス、スピロテクニーク社)を当時の《日本光学工業》が権利をもらって製造したのが「ニコノスⅠ」なのだが、以来、開発を重ね、TTL絞り優先AEを採用したニコノスⅣ-A型にマニュアルを加えた「ニコノスⅤ」を満を持して発売したという次第。
20mmレンズに引き続き15mmレンズも使えるとあって、プロも愛用するほどだった。
(デジタル化の波に押され、惜しまれつつも2001年に製造中止)。
さらに、《ニコン》は1992年、世界初となる水中一眼レフカメラ「ニコノスRS」が誕生した。
耐圧100m、大型のがっしりしたものだったが、当時増えていた一眼レフカメラ+ハウジングのセットと比べると大きさ、重さはいい勝負。
後発ではあったが、13mmレンズが秀逸とあって、こちらも愛用するフォトグラファーが多かった。
ちなみに、簡単手軽に撮れると当時人気だった「写ルンです」の防水ハウジング「潜ルンです」も1991年に《ユーエヌ》から登場。
値段もお手頃とあって、爆発的ヒットとなった。
また、一眼レフカメラでは初心者でも簡単に撮れる《キヤノン》から「EOS Kiss」が誕生(フィルムタイプ)。
これとハウジングのセットを使用するダイバーも非常に多く「マリンダイビング水中写真コンテスト」の入賞者の多数がこのカメラを使用していた!ということもあった。
国内のダイブエリアがどんどんオープン!
『マリンダイビング』12月号(600号)では、各ダイブエリアの初出年号を記載しているのだが、この時代、日本ではたくさんのダイビングエリアがオープンしているのに驚かされる。
現在ある伊豆半島のダイブエリアはほとんどがこの時期にオープン。
また房総、湘南や、紀伊半島も多数のダイブエリアが登場している。
本誌特集では、エリアの水中マップを掲載することでセルフダイビングの方向けの情報を紹介した。
また、ダイビングサービスやダイビングショップも多数オープン。
都市型のダイビングショップも含めると、約2000軒のショップ&サービスがあった。
ダイバーの海外進出も盛んに
国内もそうだが、海外にダイビングを楽しむために出かけるダイバーも圧倒的に増えた。
パラオ旅行も当初は1週間20万円台といった感じだったが、アクセス数が増え、価格競争が始まり、6日間で10万円を切るものまで登場したほど。
また、1991年に日本企業が運営する「パラオスポート」が登場するなど、世界の海でダイブクルーズも盛んに。
※この頃からマンタやジンベエザメに会える世界の海もどんどん見つかり出した。 『マリンダイビング』12月号(600号)では、生物発見史をクローズアップした特集も組んでいるので必見!
301号(1998年3月号)~600号(2015年12月号)
安定期
誰もが簡単にダイビングが楽しめるようになった!
国内外のダイビングエリアが次々とオープンし、元からあるダイブエリアではダイバーのことを考えた施設が改良され(例えば、ビーチエントリー用のスロープや、ダイビング後の更衣室、お風呂など)、初めての人でも安心して利用できる施設と海がそろった現代。
ダイビング器材の細かいリニューアルはあるものの、基本フォーマットは変わらず、安定している。
潜水事故をゼロにする!
安全に潜るためのノウハウもどんどん更新
ダイビングは冒険的な要素も非常に大きいものの、事故なく、安全があってこそ楽しめるもの。
安全に潜るためのダイビング器材やスーツ、アクセサリーはそろった。
でも、より減圧症や潜水事故のリスクを減らすためにすべきことがあるはず。 ということで、エンリッチド・エア・ナイトロックスの普及が叫ばれ、本来、通常のレジャーダイビングでは行けない海域を目指したテクニカルダイビングのノウハウからレジャーダイビングにも行かせるものがあるはずと、講習の内容が改良されるなど、少しずつ変わってきているのも事実。
より新しく確かな情報を得るためにも『マリンダイビング』は欠かせないツールなのだ。
環境保全はより活発に
2015年もエルニーニョ現象で世界的な異常気象が叫ばれているが、海水温の上昇、オニヒトデやヒメシロレイシガイダマシなどの大発生、赤土の流入、大震災・天災など海やサンゴ礁を汚染、破壊する要素が増えている昨今。 私たちダイバーにできることはないだろうか?
ということで、さまざまなレギュレーションが各地ででき、ボランティア活動が盛んになっている。 サンゴの苗の植え付けや災害地でのボランティアダイビングなども。
『マリンダイビング』および『マリンダイビングWeb』ではできるだけこうした活動も事前告知、事後レポートをしていくので、逆に情報をお持ちの方はぜひお知らせください。
海底にサンゴ礁が連なるインドネシアの海。こんな美しいサンゴ礁を永遠に残していきたい
以上、簡単にまとめてみました。
『マリンダイビング』12月号(600号)ではもう少し細かく項目に分けて紹介していますので、ぜひご覧くださいね!
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