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感動の一瞬はこうして生まれた…… フォト派ダイバー必見!
水中写真家 作品探訪

いつも出発は「感動」

吉野雄輔 Yusuke Yoshino

吉野雄輔

サメ
1日の撮影を終えて、船が止まったのは硫黄島。船から水面にライトを照射している。何か来るかな?と、水面を見ていると、トビウオが集まってきた。しばらく見ていたら、突然水面上にサメの顔が突き出た。トビウオを食べているのだ! なんという幸運? ちょっと怖かったけど、トビウオをくわえたサメの写真が撮れるかもしれない。光があって、サメの位置がわかる範囲は、3~4m幅だろうか。小さなストロボのパワーで、撮影可能な範囲は? そこでサメの白い腹側から撮影することを考えた。それでも、ストロボの届く範囲は2~3mだろう。時代はフィルムの時代。許されるのは36枚の撮影。半分ビビりながら、海中に滑り込み、船のライトが作る輪っかの下に陣取ると、暗闇からすごいスピードで突っ込んでくるサメは一瞬で光の輪っかの外へ消える。必死で、シャッターを押したが、残った写真は、サメの写真1枚、トビウオの写真1枚だった。
ニコノスⅢ 15mm/2.8 絞り f5.6 1/60 水面下 SEA&SEA YS 150ストロボ 硫黄島

ただただ潜りたかったから水中写真を撮ることに

プロのカメラマンになろうと思ったことはない。
写真が上手くなりたかった

マリンダイビングWeb編集部(以下、編)-吉野雄輔さんはいつ頃、なぜ、カメラマンになろうとしたのですか?

吉野雄輔さん(以下、吉野)-実は、水中カメラマンになりたいと思ったことは一度もないの(笑)。たまたま沖縄に行ってダイビングをしてたら、マンタが目の前にいてずっとこっちを見ているんだよ。その時はなぜか一人で潜ってたので、上がってからすごかったんだよって説明したんだけど、なかなか通じない。写真がないとだめだなと思ったわけ。それから大学卒業後、世界中の海を何年かかけて回ったんだけど、日本に帰ってきてからももっと潜りたかった。でもお金がない。海外では「日本から来たダイバーはお前が初めてだよ」なんて言われたもんだから、外国で撮ってきた写真が下手でも売れるんじゃないかと思った。
それで、当時あったダイビング誌に売りに行ったら、「じゃあ使うよ」って感じで。そしたらスージー(吉野さんの奥さん)が映ってた写真が表紙になっちゃった。単純な話で当時ウエットスーツはほとんど黒。スージーは出たばっかりのショッキングピンクのウエットスーツを着てた。だからそれを選んだんじゃないの?
ほかにも、カリブ海のケイマン諸島もまだ日本人は誰も行ってないから、雑誌社に使ってもらってね。売れたお金でまた潜りに行くわけ。でも行ったところで写真がなかなか上手く撮れない。
どうしたら一番早く写真が上手く撮れるようになるんだろう?って、考えた。
「プロに習えばいい」と思い着いて、あるスタジオカメラマンのところに遊びに行き、毎日毎日行くうちにアシスタントを2年間やったんだ。
その間、俺が先生に世界旅行の話をしてたら今度は先生が影響されちゃって、スタジオたたんで旅に出ちゃった。その時に「こいつにやらせてやってよ」と、ちょっとした仕事を紹介してもらって、食べていけるぐらいにはなったの。でもプロになるって感じじゃなかった。潜りに行く金欲しさに仕事してた(笑)。
その後、小笠原に行きたくなって築地で魚の写真を撮って、今度は違うダイビング誌に売り込んだら採用されて、小笠原から帰ったら巻頭トップで12ページぐらい組んでもらった。ロタの撮影の仕事ももらって、また巻頭の特集と表紙を飾ったの。
写真集『地球2/3海』には沈船とかロタホールの写真を載せたんだけど、今では有名なロタホールの写真は当時全然なかったから衝撃だった。とんとん拍子で仕事して、少しずつ食えるようになった。広告にも写真を使ってもらった。
ダイビング誌で仕事をすればさ、とりあえず潜れてその日は食えるけど、次の日はわからない。とりあえず暇さえあれば撮影。お金をできるだけ使わないで潜れるところに行って、居候させてもらう。手伝いながら写真を撮ればいいって言ってもらうんだけど、潜ってばかりだから手伝わない(笑)。僕以外にそんな居候はいなかったよ。でも、そんなこんなで40年やってきた。

-昭和時代の、吉野さんの豪快伝説ですね。コミュ力もハンパなかったに違いないです。

吉野-もし金持ちだったら写真を売る必要はない。もう好きなだけずっと写真を撮ってたよね(笑)。金ばらまきながら(爆)。海外でもいろいろ面倒を見てもらったよ。若かったし、アメリカ人からしたら余計ガキだろう。ラッキーだったよ、本当に。
まあでも金を稼がないと潜れないし、写真も撮れないから、一生懸命稼いで。それだけ。仕事として撮影をすればクライアントの意向もきかなくちゃいけないし、リクエスト通りに撮らなくちゃいけない。
でも自分の写真を撮ろうと、パラオのカープアイランドにも長いこといたことがあるんだよ。岸川格(イタル)さんが面倒をみてくれたんだけど、当時はゲストが少なかったから、イタルさんが来れば一緒に潜りに行けるんだけど、そうじゃない日はカヌーを漕いで「ビッグドロップオフ」まで行って潜ったりしてた。
思えば情熱だけだね、情熱。それで人が助けてくれる。幸せな人生だったなぁ。まだ生きてるけど(笑)。

水中写真を大量生産するために1ダイブ6台、一日6本!?

-とにかくダイナミックな行動とお人柄ですが、撮影される作品はどれも細やかで、バラエティに富んでいて、驚かされます。

吉野-わかってるね~。よく言われる。写真家の先輩や全然知らない人がさ、「吉野さんさ、会った印象と写真の印象と全然違う」って。写真は繊細だよね、やっぱり繊細な男なんだよ。二重性っていうの? 二重人格みたいなもんだから(笑)。

-あれだけ押さえるのには何台もカメラを持って入らないと気付いたものが撮れないんじゃないですか? 何台持って入るんですか?

吉野-今はじじぃだから一台。マクロもワイドが撮れる時代だからさ。
若くてパワーがあった頃、フィルム時代は、複製もできないから大量生産しなくちゃいけない。写真をいろんなところに預けていて、海外にも送ったりしていたので、大量生産をする必要があった。ヘタするとハウジング6台、船から吊るしたり、海底の砂地に置いておいたりして、バーッと撮ってきて、船に上がってフィルムを替えて同じタンクでまた潜って、また撮って上がってフィルム交換してと、1ダイブで18本撮ったことあるよ。めちゃかかるんだよ、フィルム代(笑)
でも基本はワイドとマクロのレンズで2台だよね。水中で何が起こるかわからないでしょ。マクロ持っている時にジンベエザメが来て撮れなかったっていう悔しい思いをしたり……。

-しかし6台はスゴイ。

吉野-しかもストロボ1個が今よりもでかい。大きいストロボ12個付けて、流れが強い所はそんなことはしないけど。普通のところであれば6台持って泳いだもん。

-スーパーマンみたいですね。それで1日何本潜ってたんですか?

吉野-多いときは6本潜ってたよ。バリとか一日の潜水時間12時間潜ってて。それを毎日。だんだん水深が浅くなると長く潜れるでしょ。

-減圧症に罹ったことはないんですか?

吉野-ないよ。だって、だんだん浅くしてそこで1時間半とか撮影してるから減圧できる。減圧症にはすごい気を遣ってきたし。ダイブコンピュータもアメリカで買ってきて日本で流通する前から使ってたよ。

潜る量は嘘をつかない

-その頃の大量生産が今の写真集などにつながっているんだと思うんですけれども。

吉野-そうだよね。当時は中村征夫さん、中村宏冶さん、武内宏司さん(タケさん)という水中カメラマンがいたんだけど、みんなとにかくスゴイ。そういう人たちと一緒にやるには、潜水時間と数だけは彼らを超えなくちゃいけないと思ったんだ。
宏冶さんが何か連載で“伊豆海洋公園で一年700時間潜ってた”って書いてた。じゃ、俺は後輩だから、1000時間潜ろうと。だから本当に一年1000時間潜ったよ。
量だけは先輩を凌駕しなくちゃいけない。若いんだから。そう思ったわけ。量だけは嘘をつかないって。
それだけは決めた。今までの人生でそれだけ、決めたことは。
でも、征夫さんや宏冶さん、タケさんを手伝って潜ったりしてたんだけど、何も教えてもらってないけど、たくさんのことを教わった。結構、先生がたくさんいるんだよね、勝手に先生にしているだけだけどさ(笑)

水面を超えると別世界。だから「水面」にこだわった

吉野雄輔

サンゴ礁
この場所を見つけるために、何個もの島の浅瀬を探し回った。水深1mに美しい珊瑚がある場所は少ないのだ。 岸に近く、水が澄んでいるのは、この場所からドロップオフの外の海が近いからだ。水中眼鏡1個で楽しめる別世界がすぐ隣にあることがわかる写真が欲しかった。
ニコンF3 16mm/2.8 絞り f8 1/60 感度50 水深1m SEA&SEAハウジング 自然光 モルディブ

-大事なお話をありがとうございます。吉野さんを皆さんが知ることになった写真集が『地球2/3海――Diver’s high』(1992年 以下、『地球2/3』と呼ぶ)でしたが、その写真集で伝えたかったことはどんなことですか?

吉野-俺もほかの出版社で1冊、写真集を作ってたんだけど。要するに素人なわけじゃない? 『地球2/3』は、どんな本を作ろうかっていう発想じゃなくて、“自分が好きなものを見せる”がテーマ。本当に1枚1枚好きなものを厳選して、ページの組み方も自分で決めた。自分の好きなものはこんなにあるんだ!って。副題に「ダイバーズハイ」という言葉が入っていて、宏冶さんが「ダイバー冥利に尽きる」と言ってたけど、そう、ダイバー冥利を見せたかったわけ。
『地球2/3海』っていう題は今でも気に入ってるんだよ。俺の基本。あの本が俺の全て。「水面」という言葉が書いてあるんだけどさ、水面を超えるとそこは別世界。あの水面っていう不思議な1枚が陸と海の境目なんだよ。飛び込めば簡単に超えられる。だから水面にものすごくこだわって写真を撮ってきた。地球には2つの世界がある。一般の人は陸の世界に生きてるじゃない、ダイバーは水面の上と下、両方の世界を生きれる。それが自分の原点。だから“地球の2/3は海”っていうタイトルにつながる。本当は海の世界のほうが大きい。あれ自分の原点なんだ。

アイディアの出発点は“感動”

吉野雄輔

アミガサクラゲ
光を反射させながら移動するアミガサクラゲ。とても生き物とは思えない。SF映画の中の、未知のエネルギーを発射しながら進む宇宙船にしか見えない。見たままに撮影できれば、それ以上はない被写体。恐る恐る、期待を込めてカメラのモニターを確認した。昼間の撮影です。
ニコンD800 60mm/2.8 絞り f11 1/250 感度100 水深2m ノーチカムハウジング inon Z240ストロボ 2灯 青海島 山口県

-その後たくさんの写真集や図鑑などを執筆されてきましたが、2015年に出した『世界で一番美しいいきもの図鑑』が大ベストセラーになりました。

吉野-あれは……例えば『地球2/3』は俺がもっと若かった頃に、自分が素晴らしいと思う写真を選んでいったわけだよね。『世界で一番~』は年齢を重ねてきて、一番大切にしたのは、“ありのまま”。若い時は自分の写真はこうなんだ、こういう写真を撮りたいんだってのがあった。今は自分の写真が主人公じゃない。あくまでも写真で見せたいのは、海のすごさなんだ。だから、いろんなテクニックを使って海を魅せるより、俺が見たままのものを、見る人が直接見たように感じられるのが一番いいわけじゃない? だからある意味、技術を捨てていった。黒い写真は意味があって使ってる。でも黒バックは無能なことなの、パチッて撮るだけのこと。写真であれば背景、立体感、切り取り方が大事とかさ、そういうものがある。その代わり、バックを黒にすればこんなきれいな、こんな生き物がいるんだと、写真を見る人がわかる。
この本で大事なのは俺が、こんなふうにカッコよく写真を撮りましたっていうことじゃないし、デザイナーがかっこよくデザインしたっていうことではない。つまりカメラマン、デザイナー、編集者とかが後ろに引いて、主人公は生きもの、っていうのをコンセプトにずっと編んで行った。
買ってくれた人が「こんな生き物がいるんだ」って言って、おれと同じ位置にいることが最高なんだよね。そういう自分の中の意識の差をすごく感じだ。

-20何年かで随分変わりましたね。

吉野-それが年齢ってもんじゃないの? 40年経っても、自分が初めて潜ったときの感動とか、思い出しながらつくる部分はある。
海ってこんな青いとか、こんな広いんだとか、こんなやつがいるんだ!とかさ、そういうことがモチベーションになってやってきたわけじゃない。それが正直に出るように、正直に出すことが技術かもしれない。 評価は時の運だよ。評価されたらうれしい。でも、みんながそんなもん興味ないって言ったらそれまで。でもおれが興味あってつくってるんだからしょうがない。

-それにしてもたくさんの写真集や図鑑を出されていますが、アイディアはどなたが出されているのですか? 

吉野-はい、僕です。

-その秘訣は?

吉野-やっぱり現場にいることじゃないの? コロナで特に自粛して現場に行ってないけど。
でも現場に行っていれば過去の感動を思い出してつくることもできるし、今まで感動したものを自分なりに組んでつくることはまだできる。結局、発想は現場。
編集の人にもよく言うんだけど、頭で考えると結局頭の中のアイディアだから新しくないんだよね。だから、頭で考えないでやろうよってよく言うんだけど、アイディアって出そうと思って出せるもんじゃないと思うのね。こういう海にこういうかわいいやつがいてこんなに怖いやつもいたよ……って膨らませられるわけじゃない。テクニックじゃない?
だからスタートはいつも感動だと思うのね。それぞれの。だから、感動がなくなっちゃったら作れないよね、つくる必要もない。

-吉野さんの撮影スタイルは? 潜る目的を絞っていきます?

吉野-俺は狙わないタイプ。
だから例えば仕事として最初に行ったのがさっき言ったけど、ロタ。ロタ島が俺の人生で初めての撮影現場だったんだよ。行く前にロタ島ってどんなところだろうって調べようかなと思った。どんなものが狙えてどんなもんを撮ってこなくちゃいけないんだろうって。
でもやめた。なぜなら、調べていくと人間ってとらわれちゃうから。それを撮らなくちゃいけなくなる。でも、出たとこ勝負でこれいい!これカッコイイ!!っていうのを狙わなきゃいけないと思って。
今まで仕事を引き受けて、先に何かを調べたことがない。調べるべきじゃないと思ってる。なぜなら知ってしまうと、そこに感動が少なくなる。
でももちろん、知っているものがあって、そこへ行ったらそれが撮りたいっていうものもあるよ。
アマチュアの人たちは狙っていって会えるかどうかわかんないけど、会えるとうれしい。でもプロとしては、おれは弱点だと思ってる。プロとしてはその場勝負で撮れるように進化すべきだと思う。
だからガイドさんにも教えてくれるのは一日1個でいいからって言ってる(笑)。何も見つからない時は教えてって言ったり。
テーマとしては誰でも見られるものをアマチュアの人より上手く撮れなくちゃプロとして生きていけないと思ってる。珍しいものを撮ればいいという方向には走りたくない。誰もが見られるものを誰よりもよく撮れたらプロとして生きていけるじゃない。誰でも会えるものをキレイ撮るのがいい。

-ありがとうございます。いくつかの「雄輔語録」がありましたね。2022年7月も新刊が出るとのことで、楽しみにしています!

吉野雄輔
Yusuke Yoshino

PROFILE
よしの ゆうすけ
1954年、東京生まれ
海と海の生物すべてをこよなく愛する海の写真家。
年間半分は海に潜り、40数年スチール写真を専門とする。
NHK「海のシルクロード」の水中スチール班としてシリアへ遠征するなど訪れた国は80か国ほど。
《吉野雄輔フォトオフィス》を主宰、ストック数20万点。
2009年よりキャンピングカーで、日本の海を撮影。
広く大きな海の写真から、マクロの世界まで、日本・外国の海洋生物5000種、海洋風景、ダイビングシーン、マリンイメージなど幅広く撮影する。
写真集、図鑑、児童書、雑誌、広告の世界と幅広く活躍する。
2015年出版した写真集「世界で一番美しい海のいきもの図鑑」創元社は、今もベストセラー1位! ただ今8刷。

公式ホームページ

吉野雄輔

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