連載
ダイビング博士 山崎先生のダイビングを科学する!
第3回「ダイバーの言う“浮力”の正体」
ダイビング初心者の中には、なかなか上手にならない、と悩む方も多いですよね。一方で熟練インストラクターでも、自分ではできるけど人に理由をうまく説明できない、といった話も…
この連載「ダイビング博士 山崎先生のダイビングを科学する!」ではダイビングの悩みや疑問を科学的にわかりやすく解説します。第3回のテーマはずばり「ダイバーの言う“浮力”の正体」。科学的にダイビングを理解することで、スキルアップを目指しましょう!
※2024年11月の情報です
こんにちは!目指すは「ダイビング博士」の山崎詩郎です。普段は東京科学大学理学院物理学系の助教として物理学の研究と教育を行っています。ちなみに2024年10月1日から大学の名前が東京工業大学から東京科学大学に生まれ変わりました。そのかたわらで、科学を誰にでもわかりやすく伝える科学コミュニケーターとして、TV出演や映画の科学監修を多数務めています。
前回の第2回目では、「浮力」の正体は上下の水圧の差であること、「浮力」は体積だけで決まることを説明してきました。今回の話はその続きになりますので、まだご覧になっていない方はぜひご一読ください。「浮力」をバッチリ説明した第2回目ですが、こんな爆弾発言で締めくくりました。ダイバーの言う“浮力”は、本来の「浮力」ではない…!いったいどういうことなのでしょうか?
「浮力」は変わる?変わらない?
あるダイビングポイントから別のダイビングポイントに移動中の車内。私は自分がダイビング博士を目指しているということを赤裸々に語っていました。すると、運転手を務めていたインストラクターAさんが、それならばということでこんな質問をしてきました。
「エントリー直後の満タンのタンクより、エキジット直前の空に近いタンクのほうが浮きやすいですよね?」
私は、はいと答えました。エントリー直後の満タンのタンクは空気が200気圧ぐらい入っていますが、エキジット直前の空に近いタンクは空気が100気圧ぐらいしか残っていません。エントリー直後はBCDの空気を空にすれば楽に潜降できたのに、エキジット直前はBCDの空気を同じように空にしてもなぜか浮いていってしまった、という苦い経験があるダイバーも多いと思います。どうやら、エントリー直後の満タンのタンクより、エキジット直前の空に近いタンクのほうが浮きやすいのは事実のようです。するとAさんは科学的な質問を続けました。
「友達のインストラクターBさんは、それはタンクの「浮力」が大きくなったからだ、と言っています。でも私は、タンクの「浮力」は変わらない、と思っていました。どっちが正しいんですか?」
皆様はインストラクターAさんとインストラクターBさんのどちらが正しいと思いますか?
本来の「浮力」は変わらない
まず、空気が満タンに入っているからと言ってタンクは風船のように膨らんだりしません。また、空気が空に近いからと言ってタンクは風船のようにしぼんだりしません。タンクはとても丈夫で分厚い金属でできているので、空気が満タンでも空でもタンクの形も体積も変わりません。ここで、前回までに説明した、「浮力」は体積だけで決まる、ということを思い出してみましょう。満タンのタンクでも空のタンクでも体積は変わらないので、「浮力」は変わらない、つまりインストラクターAさんが正解です。
では、「浮力」が変わらないのにどうして空に近いタンクは浮きやすくなったのでしょうか? それは、「浮力」が大きくなったからではなく、単純にタンクの中身が軽くなったからなんです…!空気にも重さがあることを忘れてはいけません。普通サイズの10Lのタンクの場合、もし身の回りにある普通の1気圧の空気が入っていたらその重さはわずか10gしかありません。しかし、満タンの200気圧の空気は200倍もギュウギュウに詰まっているのでなんと大体2kgもの重さがあります。一方で、空に近い100気圧の空気は大体1kgぐらいあります。その差はなんと1kg、ウエイト一個分ぐらいの差があるんです。だからエントリー直後の満タンのタンクよりも、エキジット直前の空に近いタンクのほうが浮きやすくなったのですね。
ダイバーの言う“浮力”は変わる
図1
一方で、インストラクターBさんは空のタンクは「浮力」が大きくなると言っています。これは単なる誤りだったのでしょうか?実は、図1のようにダイビングではこれまで説明してきた本来の「浮力」から、重さを引き算したものを改めて“浮力”と呼ぶことがほとんどなんです。満タンのタンクも空に近いタンクも本来の「浮力」は同じですが、空に近いタンクは満タンのタンクより1kgぐらい軽くなるので、ダイバーの言う“浮力”は空のタンクのほうが1kg分大きくなります。インストラクターBさんの言うことは、このダイバーの言う“浮力”という文脈では正しかったのです。結局、インストラクターAさんは本来の「浮力」、インストラクターBさんはダイバーの言う“浮力”、それぞれ別の意味で話していただけで、お二人とも正しいということで一件落着しました。とはいえ、これだけダイビングにとって基本的な概念でも、プロのインストラクターの方同士でもその理解にズレがあるというのは大きな発見でした。
さて、本連載の最初に目指すところでもある中性浮力。その「浮力」はどちらの意味で使われているかわかりますか? 答えはダイバーの言う“浮力”です。本来の「浮力」は常に上向きなので、そもそも中性にできません。中性浮力とは、上向きの本来の「浮力」と下向きの重さがプラスマイナスで打ち消し合ってダイバーの言う“浮力”が中性になっているという意味です。
浮くか、沈むかは、ダイバーの言う“浮力”できまる
突然ですが、いじわるクイズです。水に絶対に浮かびもせず、水に絶対に沈みもしないものってな~んだ?ヒント。それは泳ぎません。それは生き物ではありません。それは皆さん全員の本当に目の前に今あります。答えは……水です!水は水に浮かぶと思いますか?いいえ浮かびません。水は水に沈むと思いますか?いいえ沈みません。変な言い方ですが、水は水の中を浮きも沈みもせずにただよっています。よく誤解されますが、実は水自身にも水中で「浮力」は働いているんです。ではなぜ浮かび上がってこないのでしょうか?
図2
ここで、図2のように広い水中にある1cmの水の立方体を考えてみましょう。1cmの立方体の水に働く「浮力」は計算すると上向きに1g分です。一方で、立方体の水に働く重さは1cmの立方体なので同じく1g分です。上向きの「浮力」と下向きの重さが等しいので、水は浮かびもせず沈みもしないのです。つまり、ダイバーの言う“浮力”がゼロだからです。
ここで水よりも密度が小さい木材でできた1cmの立方体を考えてみましょう。体積が同じなので「浮力」は同じ1g分ですが、重さが1gよりも軽くなります。すると「浮力」のほうが重さより大きくなり、ダイバーの言う“浮力”が上向きになるので浮きます。同じように、水よりも密度が大きい鉄でできた1cmの立方体を考えてみましょう。やはり、体積が同じなので「浮力」は同じ1g分ですが、重さが1gより重くなります。すると重さのほうが「浮力」より大きくなる、ダイバーの言う“浮力”が下向きになるので沈みます。結局は、浮かぶか沈むかはダイバーの言う“浮力”で決まります。水よりも軽ければ浮き、水よりも重ければ沈む、という誰もが知っている結論が得られます。
まとめ
ここまで、本来の「浮力」とダイバーの言う“浮力”は違うこと、浮かぶか沈むかはダイバーの言う“浮力”で決まることを説明してきました。ここまでは、わかりやすくするために、固体や液体のように水圧で縮まないものを当たり前のように考えてきました。しかし、実際のダイビングでは、人間の肺や、スーツの気泡、そしてBCDのバッグのように、水圧で縮むものが多数登場します。これが非常に厄介でして……。多くのダイバーが中性浮力に悩んでいる最大の原因なんです!!これらを攻略するために、次回は気体の「浮力」を考えていきます。
この連載では、ダイビングの科学に関する素朴な疑問を大募集しています。初心者の方からインストラクターの方まで、ぜひ質問を編集部までお寄せください。皆様の質問が記事に採用されるかもしれません。
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物理学者
山崎 詩郎 (YAMAZAKI, Shiro)
東京大学大学院理学系研究科物理学専攻にて博士(理学)を取得後、日本物理学会若手奨励賞を受賞、東京工業大学理学院物理学系助教に至る。科学コミュニケーターとしてTVや映画の監修や出演多数、特に講談社ブルーバックス『独楽の科学』を著した「コマ博士」として知られている。SF映画『インターステラー』の解説会を100回実施し、SF映画『TENET テネット』の字幕科学監修や公式映画パンフの執筆、『クリストファー・ノーランの映画術』(玄光社)の監修、『オッペンハイマー』(早川書房)の監訳を務める「SF博士」でもある。2022年秋に始めたダイビングに完全にハマり、インストラクターを目指して現在ダイブマスター講習中。
次の目標は「ダイビング博士」または「潜る物理学者」。