- ホーム
- 水中写真
- 水中写真家 作品探訪
- 尾﨑たまき
感動の一瞬はこうして生まれた…… フォト派ダイバー必見! |
水俣で発見された新種ヒメタツを撮影ほか
人間といきものの共存を探る作品撮り
尾﨑たまき Tamaki Ozaki
ようやく生まれた最後のヒメタツ赤ちゃん
最後の1匹まで力を振り絞って産むお父さんの姿が健気で、写真に残したいと思いました。
体をくねらせた後にようやく出てきた最後の赤ちゃんは、たった一瞬のお父さんとの対面の後にすぐさま大海原に泳いでいきました。
Canon EOS 5D Mark IV 50mm MDX-5D Mark IV
1/200秒 F20
数少ないプロの女性写真家の生きものを見る目が優しくて…
師匠・中村征夫さんに教えられたこと
マリンダイビングWeb編集部(以下、編)-尾﨑さんは水中写真家になるために巨匠・中村征夫さんの下で2000年から約11年間、修業されていたとのこと。修業中、どんなお仕事をされてきたのですか? 最初にロケに行った場所などの話なども入れて教えてください。
尾﨑たまきさん(以下、尾﨑)-最初のロケ先は、NHKの仕事で伊豆大島でした。このとき初めて一緒に潜ったのですが、水中で任された仕事がハイビジョンカメラを固定するためのウエイト運びでした。事務所では掃除や郵便物の整理がほとんどでした。その合間に中村さんのストックポジをひたすら見せてもらっていました。慣れてきた頃、中村さんが撮影してきたポジの整理も任されるようになりました。ロケに行く前は機材の準備はもちろんですが、後半のほうではロケスケジュールも任されていたので、アポイントや現地でのスケジュール調整などの貴重な経験を積ませていただけました。また11年のうちの半分以上は、中村さんのアシスタントだけでなく、自分の仕事も自由にさせてもらえたことはありがたかったです。熊本時代の広告写真スタジオで培ったものを生かせる雑誌の仕事や、写真展開催、写真集制作など、中村さんの事務所に所属しながら自分自身のこともさせてもらえ充実した11年間でした。
編-中村征夫さんはとても厳しい師匠だと、歴代のお弟子さんからお話を伺ったことはありますが、たまきさんにとってはどんな師匠でしたか? 一番厳しくいわれたことはどんなことですか?
尾﨑-はじめは怖くて普通に話しかけることすらできませんでした。でも頑張ったところは、しっかり見ていてくれたように感じました。中村さんが水中で厳しく言われていたことは「安全管理」。これに尽きます。陸では「人への配慮」です。どちらも中村さんのもとで叩き込まれました。そのときはなんでこんなことまで……と反発心を感じたこともありましたが(笑)、今思えばとてもありがたい教えでした。
男性にできることは……負けず嫌いだった尾﨑さん。
体力づくりは畑仕事!?
編-ダイビングを仕事にするとなると、周囲は男性が多いですし、体力もいりますし、冷たい海にも入らなくてはなりません。さらに水中撮影機材の重さといったら、かなり大変だと思いますが……。
尾﨑-毎回撮影時間が長いので、体が冷えることもしばしばでしたが、中村さんが私以上に冷え性だったので、体を冷やさないようなスーツや潜った前後に体を冷やさない工夫など、私にも気を使ってもらっていたので助かりました。熊本で一人潜水をしていた時のほうが、自分の体を顧みず無茶してましたね(笑)。
負けず嫌いなところがあるので、男性ができることをしないわけにはいかない、自分にできないわけがないと、機材運びなど頑張って一人でやろうとしていましたが、結局現地のスタッフの皆さんたちに助けてもらってばかりでした。人に甘えるのが苦手なかわいげのない自分でしたが、人に甘えることも大切だなと、いい歳して気づきました。
編-実際、体力づくりや冷え対策はどのようにされていますか? またたまきさんならではの重い機材運びの工夫などがありましたら、教えてください。
尾﨑-今は器材が充実しているので、フィッシュアイさんのヒートベストきたり、ゼロさんのインナー着たりと、メーカーさんのおかげでありがたい限りです。簡単なことですが、首に薄手のタオルを巻いて入るのも防寒になります。普段の生活では、冷たい飲み物は飲まないようにしています。今住んでいる田舎の家がめちゃくちゃ寒いので、寒さに慣れたせいか随分強くなりました。そして体力づくりは畑仕事ですかね(笑)。
地元の水俣の海で発見された
新種のヒメタツと出会う
はかない命
お腹をケガしていながらもパートナーを見つけ、命をつなぐため懸命に繁殖行動を見せてくれました。何度も卵の受け渡しを試みるヒメタツのペア。やっとお互い向き合ってその瞬間がきたことに、安堵しているとまさかの卵落下。2匹の表情に胸が痛み、自然界の過酷さを感じずにいられませんでした。
Canon EOS 5D Mark IV 50mm MDX-5D Mark IV
1/125秒 F13
編-たまきさんは熊本出身で、かつて公害問題で全国的にも知られることとなった水俣(みなまた)の海をライフワークとして撮影していらっしゃいます。撮影を始めた最初の頃の海はどんな海でしたか?
尾﨑-私が初めて水俣に潜ったのは1995年で、当時は汚染された魚の拡散を防ぐため「仕切り網」というものが水中に設置されていました。いざ潜ってみると、頭で勝手に想像していた死の海ではなく、力強く生きる海でした。魚たちに囲まれたあのときの感動は、今でも忘れることはありません。海の強さやここに生きるいきものたちのパワーに背中を押され、今も撮影を続けられています。
編-その中でヒメタツの写真を撮影されることとなりました。写真集や写真展も開催されたわけですが、長い間観察、撮影していてどのようなことに感動されましたか? 撮影してさらに発見したことはどんなことですか?
尾﨑-まずいつも潜っている身近な海でヒメタツという新種が発見されたこと、これは驚きとともに感動しました。
ヒメタツは同じペアで繁殖を繰り返すことが多いのですが、いつも同じ相手と仲良く寄り添っている姿には胸打たれます。
魚というより人間的という印象を受けます。
また、一度お腹を怪我したオスが、メスからの卵の受け渡しに失敗したシーンに出合いました。卵はすべて落下してしまい、かなりショッキングなシーンでした。そのシーンも忘れられませんが、そのときに見た卵の大きさにも驚きました。大きいが故に卵の数も限られていて、おそらく60〜100個くらい。だからこのような生態なのかと納得させられました。
編-生命の貴重なこと、大切さを感じる体験でしたね。では、水俣の海で次に狙っているものを教えていただけますか?
尾﨑-いろいろありますが、地元で一番盛んなしらす漁の様子を、水中から撮ってみたいです。
人間の都合で殺処分されてしまう動物
共存をテーマに考える日々
ザトウクジラの親子
繁殖子育てのために日本にやってくるザトウクジラ。親との子のつながりを感じられる写真を撮りたくて、久米島や奄美大島で撮影をしていますが、満足できるシーンを撮るまでまだまだ時間がかかりそうです。
Canon EOS 5D Mark IV 15mm NA 5DMKIV
1/800秒 F5.6
編-水俣にこだわり、生命というものにこだわっていらっしゃるようにお見受けしますが、水中シーンで特に好きなシーン、見ると撮ってしまうシーンや萌える魚など、あれば教えてください。
尾﨑-やっぱり生きものたちの野生の姿は思わず撮ってしまいますね。魚同士がイチャイチャなのか喧嘩なのか、状況によっていろいろありますが、魚同士の絡みは見ていて入り込んでしまいます。好きな魚はフグやギンポ系なので、出会ったら迷わず撮ってしまいます。縦長の顔より横に広がった顔が憧れもあって好きなんです。
編-水中から外れますが、命ある生き物も撮影されています。そんな撮影をすることになったきっかけはありますか? またそういう写真をどんな方に見てほしいとか、どんな思いで今、撮っていらっしゃるのですか?
尾﨑-幼い頃から動物が大好きで拾ったりもらったりして、生きものが常にいる生活でした。そんな中で、殺処分されてしまう犬猫が多くいることを知り、自分が何もできないもどかしさをずっと抱えていました。熊本市が殺処分ゼロをスローガンに掲げて頑張っていることに感銘を受けそれからたびたび足を運ぶようになりました。ただただ、このように人間の都合で殺されてしまう動物が少しでも減ってくれたら、そういう思いで撮影しています。また今山梨で田舎暮らしをしていて、野生の動物たちの写真も撮っています。農家にとっていわゆる獣害被害は深刻です。でも人間だけの山ではないのです。人間の都合で無駄に殺されてしまうことに非常に胸が痛みます。難しい問題で答えはなかなか見出せませんが、いかにすれば共存できるのかと、田舎暮らしをきっかけに考えるようになりました。
編-最後に、今後の目標、写真展、写真集、その他撮影活動の予定があれば教えてください。
尾﨑-人間のくらしの身近に生息する野生動物や、日本で見られる海洋哺乳動物をもっと撮影していきたいです。
編-ありがとうございました。
PROFILE |